出雲大社photo01今年4月、島根県大社町の出雲大社境内から、平安時代末期に建てられた巨大な棟持ち柱が出土しました。棟持ち柱は杉の木を3本まとめたもので、直径3mと大きなもの。同地は出雲大社「地下祭礼準備室」の建設計画が進行中で、昨年9月から事前発掘調査が実施されています。そこにヒロセは仮設用鋼材約450tを出荷しましたが、折しもその柱根付近を支えていたのがヒロセの山留材でした。
各マスコミは「伝聞・伝説の域を出ないと言われていた"空中神殿*"が実在した可能性が高まった」と報道。新聞やテレビで紹介された発掘現場の様子には、山留に記された「ヒロセ」の文字もくっきり。
遺跡を発掘する空間を確保し、土の崩壊をしっかりと支えて防ぐ、鋼材の姿が映し出されました。
出雲大社境内遺跡の発掘現場の様子
出雲大社の祀神は大国主命(おおくにぬしのみこと)で、昔から出雲の神様といえば「縁結びの神」として有名です。出雲の神様は男女の縁に限らず、「人が立派に成長するように」「社会が明るく楽しいものであるように」「全てのものが幸福であるように」と、互いの発展を願う人々の絆をも結んで下さると伝えられてきました。人の絆を結ぶこの神様の神殿の柱を、ヒロセの山留が支えたことに、嬉しい縁(えにし)を感じました。

*参考
平安時代の出雲大社本殿の高さについては、天禄元年(970年)に源為則が著した書物『口遊(くちずさみ)』に「雲太、和二、京三(出雲大社の神殿が一番、二番が奈良の東大寺大仏殿、三番が京都の平安京大極殿)」とあります。東大寺の大仏殿が15丈(約45m)であることから、出雲大社は16丈(約48m)と推定されていましたが、これまでそれを証明するものはありませんでした。
平安時代の出雲大社本殿の高さについては、天禄元年(970年)に源為則が著した書物『口遊(くちずさみ)』に「雲太、和二、京三(出雲大社の神殿が一番、二番が奈良の東大寺大仏殿、三番が京都の平安京大極殿)」とあります。東大寺の大仏殿が15丈(約45m)であることから、出雲大社は16丈(約48m)と推定されていましたが、これまでそれを証明するものはありませんでした。

